春より、やなせたかしご夫妻をモデルにしたドラマが始まるという事で、調べている内にいつの間にか、やなせたかしの人物像に惹きつけられ、もっとやなせさんの事が知りたくなった私は、いくつかの著書を購入し早速「アンパンマンの遺書」を読みました。この本の内容はやなせたかしさんの自伝で、人生のお手本となる考え方、価値観などが書かれています。「何のために生まれて何のために生きるのか」見直したくなる一冊です。
ここでは、本をおすすめする人や、「アンパンマンの遺書」(やなせたかし著書)を読んでの感想をあらすじに沿ってお伝えしていきますのでぜひ、購入の際はぜひ参考にされてくださいね。

この本をおすすめする人
1. やなせたかしさんに興味がある人
2. 今、辛い状況にいる人
3. 新しいことにチャレンジし頑張っている人
4. 春から始まるドラマ「あんぱん」を観ようと思っている人
5. 今やっている事や将来に不安を感じている人
6. アンパンマンが好きな人
やなせたかし「アンパンマンの遺書」あらすじと感想
幼少期に父親を失くす
やなせたかしが4歳の時に、父親は朝日新聞の特派記者として、中国の広東で33歳で客死しました。
幼かった為、父親の死のことはよく分からなったそうです。その後、弟は養子に引き取られた為、母と祖母と3人で、借家暮らしをする事になりました。
母は父の任地に同行せず、子供と故郷の実家に戻った。これが生涯、母の心の傷となる。と書いてあります。最愛の夫を亡くし、次男は養子になり、この時の母の心情を思うと胸が痛くなります。
小学生の時に母親が再婚
やなせたかしが、小学4年生の時に母親が再婚した為に、弟が養子として引き取られた家で、一緒に住む事になります。当時は、「遠慮や寂しさで辛かったけれど伯父夫婦の優しさと読書と絵を描くことで救われた」とあります。
このように、幼少期から壮絶な体験をされていますが、伯父夫婦が優しくて、いいところに引き取られて、本当に良かったと思います。
東京高等工芸学科に入学する
あまり机にかじりついて勉強しているようではろくな作品はできない。ここは銀座に近い。1日に一度ぐらい銀座に出て散歩するがいい。そこで吸収するものは、学校で習うものよりも栄養になる。図案科に入ったからといってデザイナーにならなくてもいい。小説家でもダンサーでも何でもいい。
「アンパンマンの遺書」より引用
やなせたかしは、担任の先生のこの言葉で、1日に一度は銀座へ出て、深夜まで真面目に吸収していたそうで、この頃のことを楽しかった、面白かった、学校へ行くのが嬉しかったと話されています。
たしかに、教室で勉強するのも大事ですが、外に出て色んな人と関わる事で、コミュニケーション能力や想像力が育ち、人との価値観の違いなどを学べるので、素晴らしい教育法といえますね。
軍隊に入隊する
やなせたかしは兵役に入隊後、検査官に「貴様は父も母もなく、弟は養子に出て、戸籍ではたった一人か。国家のために一身を捧げても泣く者もいないな。心おきなく忠節をつくせ。おめでとう」と言われ、冗談じゃない、人生はこれからだ。と思ったと書かれています。本の中では入隊後の過酷な生活も詳細に書かれています。
「正義のために戦うのだから生命を捨てるのも仕方がないと思った。しかし、正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義はある日突然逆転する。正義は信じがたい。」「逆転しない正義とは献身と愛だ。目の前で餓死しそうな人がいれば、一片のパンを与える事。」
「アンパンマンの遺書」より引用
これがやなせさんの思想の基本、アンパンマンの原点になります。
高知新聞社に入社する
やなせたかしは、戦後しばらく屑拾いの仕事をしてましたが、しばらくして高知新聞社に入社します。そこで未来の奥様のぶさんと出会います。出張先で食中毒になり、のぶさんの「テキパキとした行動と快活な愛らしさに魅了されてしまった」とあります。のぶさんもやなせさんを好きだったようで、二人は東京に行ったあと結婚します。
日本橋三越に入社し宣伝部配属となる
現在も使用されている、三越の包装紙の文字の部分はやなせさんが描かれたそうです。
また、三越に入社してきた後輩はやなせさんの事をこう言われました。
いやあ、三越に入ってびっくりしたなあ。やなせ君は全然仕事しないんだもの。会社以外の自分の仕事を部長の眼の前で平気でやってるし、私用電話はやたらにかける、面会が多くてしょっちゅう外出する、弁当は部長より高いのを注文して女の子に運ばせて食べているし、ぼくにはとても真似できなかったよ。
「アンパンマンの遺書」より引用
これについて、やなせさんに言わせると、「これはオーバーで、僕はちゃんと仕事していた。ただ仕事が早かったから、20分くらいシャカシャカやると1日分くらいはすぐできてしまう。余った時間を有効に利用していただけ」「高い弁当をわざと食べたりしていたのは、権威嫌いからきていて、平社員だからといってへりくだることはない、人間はみなおなじだ、若い方がカロリーを要求するのは当たり前だ」だそうです。
この辺はさすが後の大物感が出ていますね。人間はみな同じだという考えはとても共感します。やはり、やなせさんのこういうところが好感が持てますね。仕事に関しては、本人も言われている通り、「仕事が早い、締め切り前にいつも仕上げてくる」と助手の方も言われていました。こういった、人を待たせないところにも、やなせたかしの誠実さ、優しさが見えます。
三越を退社して漫画に専念する
ニッポンビール(現在のサッポロビール)のCMの為の週刊誌パントマイム漫画
NHK番組「漫画学校」での先生
ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の舞台装置
人気女優「宮城まり子」のリサイタル構成
「手のひらを太陽に」作詞。
詩集「愛する歌」創刊。
「週刊朝日」百万円懸賞漫画の応募しグランプリ獲得。
「やさしいライオン」毎日映画コンクールアニメ部門受賞。
サンリオ社より「詩とメルヘン」創刊。
ほかにも数々の仕事をされています。やった事がない仕事でも、断らずに引き受け、いちから勉強してチャレンジされているところも、努力家のやなせさんらしいです。そうした、努力家で人を大切にするやなせさんだからこそ、多くの人脈や経験、知識を得て、後にアンパンマンが大ヒットし、大器晩成することが出来たのかも知れないですね。
「アンパンマン」絵本に登場
最初は、アンパンマンが自分の顔をちぎって食べさせるという話が、大人からは受け入れられず、誰にも期待されていませんでした。本の後書きにはこう書いてあります。
ほんとうの正義というものは、けっして格好のいいものではないし、そして、そのためにかならず傷つくものです。そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行えませんし、また、私たちが現在、ほんとうに困っていることといえば、物価高や、公害、餓えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわなければならないのです。
「アンパンマンの遺書」より引用
子ども向けの絵本にしてはとても深いですが、やなせたかしがアンパンマンを通して、一番伝えたいメッセージが、この言葉に込められているのではないでしょうか。胸にジンときます。
絵本「あんぱんまん」が幼児に大人気になる
あんぱんまんを最初に認めたのは、3歳から5歳ぐらいまでの幼児で、その時の気持ちをやなせたかしは、「ぼくは微かな戦慄が背筋に走るのを感じた。これはえらいことになった。」と語られれています。
この後には「子供に読ませるバッハ伝」も描かれています。クラシックには興味がなく、バッハについても何も知らなかったのに中学生の時みたいに勉強を始めたそうです。「バッハは難しかった。どうもつかめない。この気難しそうな顔のおじさんはどんな人なんだ。」と苦心されています。巻末にそえた一文がまた心を打たれます。
はじめにおことわりしておきますが、ぼくはクラシック音楽についても、バッハについてもほとんど知らない人間です。この本を書くためにいそいで勉強しました。そして、あまりのむずかしさに、何度止めようと思ったかわかりません…以下省略
アンパンマンの遺書より引用
私も今やなせたかしの事を何も知らずに、必死に調べながら文章を作っているので、やなせさんのような立派な人が中学生みたいに勉強して苦心した話を聞くと、なんだか身近に感じて嬉しくなりました。
最愛の妻の病気発覚からラストへ」
1988年にアンパンマンはテレビアニメ化され大ヒット。この時やなせたかしは69歳になっていました。
「アンパンマンの遺書」の巻末までの話を読んでいると涙がボロボロとこぼれてきました。本を読んで泣いたのは久しぶりです。
「アンパンマンの遺書」読んでの感想(やなせたかし著書)まとめ
本の中には、あの有名な手塚治虫さんも登場します!私も漫画「ブラックジャック」には大変お世話になりました。
「何のために生まれて何のために生きるのか」見直したくなる一冊です。
続きに興味があられる方は、「アンパンマンの遺書」でお楽しみください。
関連記事はこちら⬇️
アンパンマンの遺書感想レビューはこちらのサイトでもみれます
コメント